昔から、「ほんとうのことはなんだろうと考えていた」、と宮澤は言います。
そんな宮澤が、京都に惹かれるようになったのは、当然のことかもしれません。
安土桃山時代に茶の湯が完成したといわれ、
お茶を美味しくいただくための茶懐石も誕生。
お茶を愉しむための陶磁や花、花を飾る花器、書、絵画、そして料理。
この時代に完成されたと言われる数々のものや風習、日本の美。
これらが集う京都を訪問した時、
「僕は京都に行かなければならない」、そう直感したと。
しかし、履歴書をつくり、京都のお店を訪問し、
「ここで働かせてください。なんでもやります」と伝えても、どこも雇ってくれません。
「紹介もないのに雇うことはできない」
信用がないこと。
これが、宮澤の前に現れた壁でした。
仕方なく地元神奈川に戻り、料理店で修行しながら、
会う人々に京都に行きたいのですと伝え続けます。
京都への想いは冷めることなく、毎週のように深夜バスで神奈川から京都へ。
使えるお金は限られていましたから、お店の前に展示されていた
お品書きを書き写し、料理の勉強をしたこともありました。
地元の料理店で修行し、京都への想いを伝え続け、バスで京都に通い続けたある日。
京都のお店を紹介してくれる人が現れます。
その方と積み重ねた信用、そしてその方が京都のお店と積み重ねた信用。
これらがあったからこそ、念願の京都で働けることに。
ひとつ、夢が叶った瞬間でした。
京都で触れる本物と言われるモノやコトの数々。
焼き胡麻豆腐との出逢い。
やがて本物を使った自分のお店を持ちたいという想いと、
焼き胡麻豆腐を伝えたいという想いが重なり、じき宮ざわの開店へ。
しかし、ここでも壁が立ちはだかります。
それは、またも信用という壁。
お店を開きたくても、店舗がなければ開くことはできません。
店舗を持つためにはお金が必要です。
しかし銀行へ行っても、誰にでもお金を貸してくれるわけではありません。
信用がないことはここでも、大きな壁となって立ちはだかりました。
そこで宮澤は、かつてお世話になったお店の恩師に電話。
「保証人か?」
「実はそうなんです」
重ね続けた信用が銀行からの信用へと変わり、じき宮ざわがはじまりました。
開店当初は、お客さまからの予約がなかなか入りません。
最初から順風満帆ではありませんでした。
三度現れた、壁です。
しかし、目の前のお客様に心を込めて料理をつくり、愉しんでもらう。
すると、やがて道が拓けてゆきます。
インターネット上にお客さまが書いた記事を見て、お客さまが友人知人に口伝し、
予約を入れてくださる方が増えて行きました。
目の前のお客さまが求めるところを求め、器を選び、料理に込め、盛り付けに込める。
お客さまの想いに想いを重ねることで、愉しんでいただく。
すると二回三回と通ってくださるように。
これもまた信用を築いたからこそ。
三度目の壁も、乗り越えることができました。
こうした信用の積み重ねは、
ごだん宮ざわを開店するご縁をも引き寄せてくれました。
世界的な流行りものの時期にはおもたせ部門を開店、さらにそば工場の承継を。
そして、新たに独歩がはじまります。
私たちのいまが在るのは、信用を重ね続け、
人とものの想いに、想いを重ね続けた結果です。
会社名 | 株式会社じき |
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代表者 | 宮澤政人 |
住所 | 京都市中京区堺町四条上ル東側八百屋町553ー1 |
創業 | 平成19年(2007年) |
事業内容 | 飲食業/食料品販売/雑貨販売/催事企画運営 |
従業員数 | 24名 |
運営店舗 | じき宮ざわ 京都市中京区堺町四条上ル東側八百屋町 553-1 ごだん宮ざわ 京都市下京区東洞院通万寿寺上ル大江町 557 じき宮ざわおもたせ 京都市中京区堺町四条上ル東側八百屋町 553-1 独歩 京都市北区出雲路松ノ下町1 ※令和5年秋開店予定 |