2024-02-15

「外に出なかったから、できた」

 

新作、 “田の喜怒哀楽” を口に含むと、これが本当に米なのか、という驚きがあった。なぜなら複雑さ、まろやかさ、力強さ、香り、とても米糠を含めた米100%とは思えなかったから。

 

米糠は感じられない。権化シリーズとも違う。一層飲みやすい。

 

言葉はなく、ため息が出る。笑ってしまう。

 

生酛水酛などのどぶろくたち、無農薬無肥料の米を100%使い行政を巻き込んで世に出た権化シリーズにつづく、田の喜怒哀楽。

 

middle of sake and wine.

 

木桶での150日を超える醪醗酵に加え、このお酒はワイン樽で1年の三次醗酵を。

 

目指したのは、遠野の土地。土地の喜怒哀楽を表現すること。米の栄養は米糠に集中する。土地の個性が現れるのは米糠。テロワールは米糠に現れる。

 

米糠を使って、米を全て使って酒をつくることができないか。食べるだけでは消費量を増やすことは難しい。だから、飲む。飲むことで消費量を増やし、農家を守る。

 

遠野でできることに集中。無農薬無肥料のどぶろくにはじまり、権化シリーズ、田の喜怒哀楽ができた。

 

そんな要太郎さんが営む宿。民宿とおのの四代目である彼は、2011年から一日一組だけのオーベルジュを開く。それが、とおの屋要だ。

 

盛岡から車で90分。『遠野物語』で知られた遠野。しかし観光地として訪れるには、娯楽や飲食店などが十分ではないと感じる。

 

足を停めておく理由がない。訪れはしても、滞在には至らないのではないか。

 

他の地方と同様に、人口が年々減っていく。

 

しかしこの地に開いたとおの屋要に、彼の料理を求めて、遠野の外から人が集う。

 

令和四年九月。はじめて訪れたとおの屋要で、宮澤さんと泉さんは衝撃を覚える。今まで自分は、何をしてきたんだ。そんな感情が湧き上がった料理。

 

遠野の食材を主に使い、いわゆる高級食材はない。玄米、米糠、どぶろく、どぶ酢、自生するミント、魚、うさぎ、羊、野菜、納豆、保存食。

 

慣れ親しんだ遠野の伝統食を要太郎さんがつくったら、個人的な固定観念、料理の常識、概念すらも崩れてゆく。

 

しかし、美味しい。
食べる者に寄り添う料理だからだと思う。

 

「要太郎さんの心の叫びが聞こえる」

 

そう宮澤さんが話すように、要太郎さんの個性、生まれ育った遠野の個性が溢れ出す。まさに、遠野キュイジーヌだ。

 

遠野というテロワールから供される料理に人が集まる。遠野から外に出なかったからこそできた料理、酒、創意工夫、情熱。

 

その帰り。

 

車の中で泉さんが宮澤さんに、宮古島行きの話をしていた。エタデスプリ渡真利さんとの出逢いもまた、実は同じタイミングだった。

 

宮古島には山がない。だからいわゆる山の幸を使った出汁がない。そして水は硬水。

 

宮古島に住んでいたら当たり前の食材からできた料理が、ミネラルと呼ばれるリゾット。

 

宮澤さんは「これは渡真利さんのスペシャリティですよね」と言う。しかし渡真利さんは戸惑う。宮古島なら当たり前だから。

 

ガガン・アナンド氏と出逢い、宮古島出身の自分がフレンチをつくることに違和感を覚えていた彼は、琉球ガストロノミーを掲げる。

 

先の戦争で失われた泡盛、琉球王国、宮古島の食材、文化風土を復活、再定義し、新たな宮古島を創っていく。

 

「これからの宮古島を創っていく人です」

 

そう宮澤さんが紹介する一言からはじまった令和五年六月のデスプリ宮ざわは、渡真利さんの料理を食べた泉さんがコースの流れを考え、宮ざわスタッフ、渡真利さんとの試作、意見交換を重ねて開催。

 

じき宮ざわ名物の焼き胡麻豆腐を琉球の食材でアレンジして生まれたジーマミー焼き胡麻豆腐、イラブチャー、山羊そばに泡盛をかけてなどなど。

 

なぜこの食材、なぜこの調理法なのかが滲み出る、渡真利さんの琉球ガストロノミー。

 

これを日本の食を象徴するひとつ、懐石料理へと昇華。泉さんの個性が光る。

 

食べる人に寄り添う、わかりやすい料理を。

 

そして生産者の仕事を100%活かしきる。

 

自身のルーツである長浜の醗酵文化、郷土料理はここでも健在だ。

 

料理する者のルーツが滲み出て、調和する。伝統を踏まえて乗り越え、新しさが生まれる。それがデスプリ宮ざわだったと思う。

 

開催地京都は古き良き伝統がありながら、実は新陳代謝が盛ん。

 

新旧古今東西が千年を超えても調和する、懐の深い街なんだと思う。

 

だから古陶に盛り付けられた新しい料理は、京都でこそ映える。

 

デスプリ宮ざわ後の打ち上げで、宮澤さんが、要太郎さんを呼んで開催できたらいいですよね、と言う。

 

場所は、獨歩。獨歩な人たちが集う、本物が在る場所。古人の跡を追わず、古人の求めたるところを求める。遠野、宮古島、京都、日本に在る、本当のところを求める。

 

魯山人が本当にやりたかったことはこういうことなのではないか。只管に求めてきたことが、ここに在る。

 

お誘いしたお客様は要太郎さんの料理を食べたことがない方がほとんどだという。そこで今回は要太郎さんによるコースを、渡真利さんと泉さんが要太郎さんに重ねてアレンジする。

 

御菓子丸早陽子さんのお菓子を得て、時代を超えて私たちを惹きつける本物の器で供される予定の料理は十五品。

 

「炭で出汁を取る、ということをやってみたいんです」

 

炭で出汁。なにそれ。そんなことできるの。マジ?

 

という空気が、要太郎さんの解説で驚きへと変わる。

 

令和六年二月、愉しみにお待ちください。

 

※写真はShuri Sasakiさん撮影。

https://www.instagram.com/shurissk/